峯村部材店主

受領の横暴に対して農民や地方の有力者はどのように抵抗し、それが武士の誕生にどうつながったのか?


まず結論

平安時代の中ごろ、地方では受領による重い税や強引な取り立てが問題になった。

農民や地方の有力者たちは、最初から武器を持って戦ったわけではない。まず、受領の不正を朝廷に訴えたり、中央の貴族や寺社に土地を預けて保護を求めたりした。

しかし、それだけでは土地や収穫物を守れない場合も多かった。そのため、地方の有力者の中には、一族や従者を集めて武装する者が現れた。

こうした武装した地方の有力者が、都や地方で軍事を担っていた人々と結びつき、やがて武士団をつくるようになった。

ただし、受領の横暴だけが武士を生んだわけではない。土地争い、治安の悪化、盗賊の増加、貴族や寺社による武力への需要など、いくつもの事情が重なって武士が成長したのである。


1 朝廷・国司・受領とは何か

朝廷

朝廷とは、天皇と貴族を中心とする当時の中央政府のことである。

平安時代には京都に置かれ、全国の政治を行っていた。

国司

朝廷は、全国をいくつもの「国」に分け、それぞれの国に国司という役人を任命した。

国司の仕事は、地方の税を集めること、裁判を行うこと、治安を守ることなどだった。

受領

国司の中でも、実際に任地へ行き、その国の政治に責任を持った中心人物を受領という。

受領には、その国から税や特産物を集め、朝廷へ送る役目があった。

平安時代中ごろになると、朝廷は地方政治の細かな部分まで管理することが難しくなった。そのため受領は、決められた税などを朝廷へ納めれば、国内の政治や徴税をある程度、自分の判断で行えるようになった。受領の権限が大きくなったことが、強引な徴税につながる場合もあった。


2 受領の「横暴」とは何か

受領の横暴とは、受領が地方官としての強い権限を利用し、自分の利益のために人々を苦しめることである。

代表的なものは、重い税の取り立てだった。

受領は朝廷へ納める税だけでなく、それ以上の米や布、特産物などを集め、余った分を自分の利益にすることがあった。

また、

  • 税を取る土地の範囲を勝手に広げる
  • 税率を高くする
  • 本来は必要のない物資まで出させる
  • 郎等と呼ばれる家来に強引な取り立てをさせる
  • 従わない人を脅す

といったことも行われた。

988年、尾張国の郡司や有力農民たちは、尾張守の藤原元命が行った政治を問題として朝廷に訴えた。訴状では、課税対象や税率を操作したことなどが告発されている。


3 郡司や百姓とはどのような人々か

郡司

郡司とは、国より小さな地域である「郡」を治めた地方役人である。

国司が朝廷から派遣された役人だったのに対し、郡司には、その地域に昔から住んでいた有力豪族が任命されることが多かった。

郡司は地域の事情に詳しく、農民をまとめ、税を集める仕事をしていた。

百姓

当時の史料に出てくる百姓は、現在の言葉でいう貧しい農民だけを指しているわけではない。

税を負担する一般の人々という広い意味があり、その中には、多くの田畑を経営する有力農民も含まれていた。

そのため、受領の横暴に対して実際に朝廷へ訴えた中心人物は、郡司や有力農民など、地域の人々をまとめられる立場の者だった。


4 最初の抵抗手段は「朝廷へ訴える」ことだった

農民や地方の有力者たちは、受領に不満があっても、すぐに武器を持って戦ったわけではない。

受領は朝廷から任命された役人だったため、受領を勝手に追放すれば、自分たちの方が反逆者とされる危険があった。

そこで人々は、受領を任命した朝廷に対して、

「この受領は決まりを守っていない」

「必要以上の税を取っている」

「人々に暴力を振るっている」

と訴えた。

このように、国司や受領の悪政を朝廷に訴えることを、一般に国司苛政上訴という。

「苛政」とは人々を苦しめる政治、「上訴」とは上の立場の役所へ訴えることである。

代表例が、988年の尾張国郡司百姓等解文である。

尾張国の郡司や有力農民たちは、受領である藤原元命の不正を文書にまとめ、朝廷に提出して、元命を辞めさせるよう求めた。これは、一人だけの不満ではなく、地域の人々が集団で抵抗した例である。


5 なぜ朝廷へ訴える方法を選んだのか

一人の農民が受領に逆らっても、簡単に押さえつけられてしまう。

受領は税を集める権限だけでなく、裁判や治安に関わる力も持ち、武装した家来を連れていたからである。

そこで郡司や有力農民は、多くの人々の被害をまとめて朝廷に提出した。

集団で訴えることには、二つの意味があった。

第一に、一人の個人的な不満ではなく、国全体に関わる問題だと示すことができた。

第二に、このまま受領の横暴を放置すれば、農民が土地を耕せなくなり、将来は朝廷に納められる税まで減ってしまうと訴えることができた。

つまり人々は、

受領の横暴は、農民だけでなく朝廷にとっても損になる

という形で、朝廷を動かそうとしたのである。


6 中央の貴族や寺社に保護を求める方法もあった

朝廷へ訴えても、必ず問題が解決するとは限らなかった。

そこで地方の有力者の中には、自分が開発した土地を、中央の有力貴族や大きな寺社に形の上で差し出す者も現れた。

これを寄進という。

土地を受け取った貴族や寺社は、その土地を自分の荘園として保護する。土地を寄進した地方の有力者は、土地を完全に失うのではなく、現地の管理者として、そのまま土地を支配することが多かった。

このようにしてできた荘園を寄進地系荘園という。

地方の有力者には、有力な貴族や寺社の力を借りることで、国司による課税や土地への干渉を防ごうというねらいがあった。


7 それでも土地を守れない場合があった

朝廷へ訴えたり、貴族や寺社の保護を受けたりしても、すべての争いを防げたわけではない。

地方では、次のような問題が起きていた。

  • 土地の所有権をめぐる争い
  • 田に水を引く権利をめぐる争い
  • 国司と荘園の間の争い
  • 地方有力者同士の争い
  • 盗賊や海賊による被害
  • 税や収穫物の運搬中の襲撃

京都にいる貴族や朝廷に訴えても、役人や兵がすぐに助けに来てくれるとは限らない。

そのため地方の有力者たちは、しだいに、

自分の土地や収穫物は、自分たちで守らなければならない

と考えるようになった。


8 誰が武装したのか

ここで注意しなければならないのは、すべての農民が刀を持って武士になったわけではないという点である。

武装の中心となったのは、

  • 郡司の子孫
  • 多くの土地を経営する有力農民
  • 新しい田畑を開発した開発領主
  • 国衙で働く地方役人
  • 地方に住みついた国司や貴族の子孫

などだった。

彼らは守るべき土地や財産を持ち、周囲の農民をまとめる力があった。

そこで一族や従者を集め、弓や刀を持たせ、屋敷や田畑、収穫物を守るようになった。


9 武器を持っただけでは、まだ武士とはいえない

武器を持つ人は、武士が生まれる以前から存在していた。

そのため、「武器を持った農民が、そのまま武士になった」と考えるのは正確ではない。

平安時代には、都や地方ですでに軍事を専門とする人々がいた。反乱の鎮圧、貴族の警護、盗賊の追捕、争いの解決などを武力で行う人々である。

こうした軍事を専門とする貴族やその一族は、軍事貴族と呼ばれる。源氏や平氏などが、その代表的な家柄へ成長していった。

現在の研究では、武士は有力農民の武装化だけから生まれたのではなく、軍事を専門とした人々、地方の領主、国司の子孫など、さまざまな人々が結びついて成立したと考えられている。


10 地方の有力者は大きな武力集団に加わった

地方の有力者が一族だけで戦える範囲には限界があった。

そこで彼らは、源氏や平氏など、より強い軍事力と高い身分を持つ人物を指導者として頼るようになった。

地方の有力者は、戦いが起きたときに指導者のもとへ集まり、代わりに指導者から土地や地位を守ってもらった。

こうして、

  • 指導者である棟梁
  • その一族
  • 地方の有力者
  • 有力者に従う家来や農民

が結びつき、武士団と呼ばれる集団が形づくられた。

武士団は単なる戦闘集団ではない。平常時には土地を管理し、税を集め、人々を支配する組織でもあった。武士の地域支配は、一人の強さではなく、一族や家人で構成された武士団によって行われた。


11 受領の横暴から武士の誕生までの流れ

全体の流れをまとめると、次のようになる。

受領が強い権限を持つ

重い税や強引な取り立てが起こる

郡司や有力農民が朝廷へ集団で訴える

有力な貴族や寺社に土地を寄進し、保護を求める

それでも地方の土地争いや治安問題を防ぎきれない

地方の有力者が一族や従者を集めて武装する

軍事を専門とする源氏や平氏などと結びつく

土地を支配する武士団が形成される

このように、受領の横暴は、地方の有力者に、

中央政府だけに頼っていては、自分の土地を守れない

と考えさせる一つの原因になった。


12 受領の横暴だけが武士を生んだわけではない

ここまで見ると、受領の横暴によって農民が武装し、そのまま武士になったように見える。

しかし、実際の歴史はそれほど単純ではない。

武士が生まれた背景には、

  • 受領による強引な徴税
  • 朝廷の地方支配の弱まり
  • 荘園の増加
  • 土地や水をめぐる争い
  • 盗賊や海賊の活動
  • 貴族や寺社が警護を必要としたこと
  • 反乱を鎮圧する軍事力が必要だったこと
  • 軍事貴族と地方有力者が結びついたこと

など、複数の原因があった。

したがって、正確には、

受領の横暴に抵抗する過程で地方の有力者が自立し、自分の土地を守るために武力を必要とするようになった。この動きが、軍事貴族やほかの地方勢力との結びつきと重なり、武士団の形成につながった

と説明するのがよい。


まとめ

受領は、朝廷から地方政治を任された国司の中心人物だった。

しかし、受領の中には、強い権限を利用して必要以上の税を集めたり、部下に強引な取り立てをさせたりする者がいた。

これに対し、郡司や有力農民は、まず受領の不正を文書にまとめ、朝廷へ訴えた。また、自分の土地を中央の貴族や寺社に寄進し、その保護を受けることで、国司の干渉を防ごうとした。

それでも土地や収穫物を十分に守れない場合があったため、一部の地方有力者は、一族や従者を集めて武装した。

そして、こうした地方有力者が、源氏や平氏などの軍事を専門とする一族と結びつき、土地を守り支配する武士団を形成した。

つまり、受領の横暴は武士誕生の唯一の原因ではないが、地方の有力者が中央政府に頼らず、自ら土地を守る力を持つようになる一つのきっかけになったのである。

峯村部材店主をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む