ホーム | 太平記 全40巻・全339章 | ← 巻第二十二 | 巻第二十四 →
巻第二十三では、まず伊予国の武士・大森盛長(彦七)と楠木正成の怨霊をめぐる長い怪異譚が語られる。続いて、1342年の足利直義の病と光厳上皇の祈願、さらに土岐頼遠が光厳上皇の御車へ矢を射かけた御幸狼藉と、その処罰が描かれる。
怪異・怨霊・神仏の霊験は『太平記』本文の物語として読み、年代や人物、事件の日付が一般的な歴史叙述と異なる場合は、その違いが分かるように注記した。
巻第二十三|目次
※読み方:軍勢の数、超人的な戦闘、怨霊、鬼、神仏の霊験などは、『太平記』本文の叙述であることが分かるように示している。本文の年代・人物比定・事件日が一般的な歴史叙述と異なる場合は、その違いを注記した。旧単位は原則として残し、尺・寸・町など換算できるものには現代のおおよその値を併記する。一方、中世の「里」は現在のkmへ単純換算しない。
203. 大森彦七と楠木正成の怨霊――天下の霊剣をめぐる怪異
伊予国から届いた不思議な知らせ
暦応5年(1342年)の春ごろ、伊予国から早馬の使者が京都へ到着し、不思議な出来事を報告した。
事情を詳しく尋ねると、次のようなことだった。
大森盛長(彦七)
伊予国の住人に、大森盛長(通称・彦七)という武士がいた。
恐れを知らない性格で、力も普通の人間よりはるかに強かった。
まさに血気盛んな勇者と呼ぶべき人物だった。
湊川の戦いで楠木正成を破る
建武3年(1336年)5月、足利尊氏が九州から東上した時、新田義貞が兵庫の湊川でこれを迎え撃った。
その戦いで大森一族は、細川定禅に従い、激しく戦った。
『太平記』は、その働きによって楠木正成を自害へ追い込んだと語る。
恩賞を受けて宴を開く
大森一族の軍功は特に大きいとして、数か所の所領を恩賞として与えられた。
一族はこの喜びを誇り、さまざまな宴や遊びを催した。
猿楽を行う
中でも猿楽は長寿を祝うめでたい芸能であるとして、御堂の庭へ桟敷を組み、舞台を設けた。
華やかな趣向を凝らし、盛大に演じようとした。
近隣の身分ある者から庶民までが、この話を聞いて大勢集まった。
彦七も猿楽へ出演する
彦七自身も猿楽を演じる1人だった。
さまざまな衣装を下人へ持たせ、楽屋へ向かった。
山道に立つ美しい女房
山の中腹にある細い道を、まっすぐ歩いていた時だった。
17、18歳ほどの女房が1人、道端へ立っていた。
赤い袴に、柳襲の五衣を着ていた。
髪は豊かに整えられ、山の端から出た月の光に照らされていた。
田舎には似つかわしくない姿
彦七は、その姿を見て驚いた。
「このような田舎に、これほど美しい女房がいるとは思わなかった。
どこから来たのだろう。
どの桟敷へ向かうのだろう」
そう思いながら、しばらく見ていた。
女房が道に迷ったと嘆く
女房は彦七へ向かって言った。
「道の草へ置く露を払ってくれる人もおりません。
どちらへ行けばよいのか、誰へ尋ねればよいのでしょう」
女房は悲しげにうつむいた。
彦七が桟敷へ誘う
どれほど荒々しい東国武士であっても、心を引かれずにはいられない姿だった。
彦七は怪しく思った。
「誰かの妻かもしれない。
事情も知らずに親しくするのは、よくないのではないか」
そう考えながらも、その美しさへ引かれ、思わず言った。
「こちらが会場へ通じる道です。
御自分の桟敷がないのでしたら、ちょうど私どもが用意した桟敷があります。
そこへお入りください」
女房が彦七についてくる
女房は少し笑って答えた。
「それは、うれしいことでございます。
それでは、あなたの桟敷へ参りましょう」
そう言って、彦七の後ろを歩き始めた。
彦七が背負うと申し出る
女房は、薄い絹の衣さえ重く感じられるほど、か弱そうだった。
これまで一度も土を踏んだことがないのではないかと思われるほど、歩くのに苦労していた。
彦七は見かねて言った。
「露があまりにも深うございます。
あそこまで、私がお背負いしましょう」
彦七は女房の前へひざまずいた。
女房は彦七の背へ乗る
女房は特に遠慮もしなかった。
「御迷惑ではありませんか」
と言いながら、そのまま彦七の背中へ寄りかかった。
花よりも軽く、梅のように香る
彦七は、昔の人が女性を見て、
「白い玉なのだろうか」
と尋ねた故事も、このような気持ちだったのだろうと思った。
背負った女房は、嵐に散った花びらが袖へ掛かるよりも軽かった。
梅の花のような、懐かしい香りがした。
彦七の心が浮き立つ
足元もおぼつかなくなり、心は空へ浮かぶようだった。
女房を背負い、半町(約55m)ほど歩いた。
女房が巨大な鬼へ変わる
山陰へ入り、月の光が少し暗くなった時だった。
それまで美しかった女房が、突然、身長8尺(約2.4m)ほどの鬼へ変わった。
恐ろしい鬼の姿
2つの目は、朱を溶かして鏡へ塗りつけたように赤く光った。
上下の歯は互い違いに生え、口は耳の根元まで大きく裂けていた。
眉は漆を何度も塗り重ねたように太く、額を覆っていた。
乱れた髪の中からは、5寸(約15cm)ほどの子牛の角が、うろこに覆われて生えていた。
大岩に押されるような重さ
鬼の体は突然、大岩に押しつけられたように重くなった。
彦七は驚き、背中から振り捨てようとした。
鬼が彦七の髪をつかむ
鬼は熊のような手で彦七の髪をつかみ、空中へ引き上げようとした。
彦七が鬼と組み合う
しかし彦七は、もともと非常に強い武士だった。
鬼へしっかりと組みつき、そのまま深田の中へ転がり落ちた。
家臣を呼ぶ
彦七は大声で叫んだ。
「盛長が化け物を組み伏せたぞ。
皆、こちらへ来い!」
化け物は消える
後ろを歩いていた家臣や下人たちは、声を聞いて走り寄った。
太刀や長刀の鞘を外し、深田を見ると、化け物は文字を消すように姿を失っていた。
彦七は人心地を失う
彦七は若い家臣や下人たちに助け起こされた。
しかし呆然として、正気を失ったようだった。
「これは普通の出来事ではない」
ということになり、その夜の猿楽は中止された。
再び猿楽を催す
しかし、これほどまで練習を重ねた猿楽を、そのまま終わらせるわけにはいかなかった。
改めて吉日を選び、御堂の前へ舞台を設け、桟敷を並べた。
再び大勢の見物人が集まった。
海上へ数百の光が現れる
猿楽が半ばまで進んだ時だった。
はるかな海上へ、役者の唐傘ほどの大きさを持つ光が、200、300と現れた。
黒雲の中の行列
漁師が縄へ火をつけているのか、鵜飼の船のかがり火なのかと思った。
しかし、そうではなかった。
一群の黒雲の中に、玉で飾られた輿がいくつも並んでいた。
恐ろしい姿の鬼たちが、その前後左右へ連なっていた。
武者100騎が供をする
その後ろには、さまざまな鎧を着た武者が100騎ほど従っていた。
細身の馬へ轡をかませ、輿を守るように進んでいた。
雲が猿楽の舞台へ近づく
近づくにつれて、その者たちの顔は見えなくなった。
黒雲の中では、時々稲妻が光った。
雲は猿楽の舞台を覆う森の梢へ止まった。
「楠正成が参った」
見物人たちが恐怖に震えていると、雲の中から大声が聞こえた。
「大森彦七殿へ申し上げたいことがあり、楠正成が参りました」
彦七は恐れず問い返す
彦七は、このような出来事にも簡単には恐れない男だった。
少しもひるまず、答えた。
「人が死んで再び帰ることはない。
おそらく魂が鬼となって現れたのだろう。
それはよいとして、楠殿は何の用があって、盛長を呼ばれるのか」
正成が足利尊氏・直義への恨みを語る
楠正成の霊は答えた。
「正成は生前、さまざまな計略を用い、北条高時の一族を倒した。
後醍醐天皇の御心を安らかにし、天下を一つへまとめ、聖なる天皇の長い御代を仰ごうと思っていた」
尊氏・直義の反逆
「ところが足利尊氏・直義兄弟は、たちまち虎や狼のような心を抱き、ついには天皇を倒した」
戦死した忠臣は修羅となった
「そのため忠臣・義士として戦場へ遺体をさらした者は、皆、修羅の眷属となった。
怒りと恨みを抱く心は、休む時がない」
天下を覆すため3振りの剣を求める
「正成は彼らとともに、天下を覆そうと考えている。
人間の3つの毒である、
- 貪欲
- 怒り
- 愚かさ
を表すため、3振りの剣を用いなければならない」
日本に3振りの霊剣がある
「我々が怒りの目を開き、一瞬で世界を見渡したところ、求めている剣は日本国内に3振りあった」
第1の剣は日吉大宮
「その1振りは日吉大宮にあった。
読経や法要による供養と引き換えに、すでに譲り受けた」
第2の剣は尊氏の手元
「もう1振りは尊氏のもとにあった。
尊氏が寵愛する少年へ乗り移り、願い求めて手に入れた」
第3の剣は彦七が持つ刀
「残る1振りは、お前が今、腰へ差している刀である」
景清が壇ノ浦へ投げた刀
「この刀の由来を知らないのか。
元暦2年(1185年)、平家が壇ノ浦で滅亡した時、平景清(悪七兵衛景清)が海中へ投げた刀である」
江豚が刀を飲み込む
「刀は江豚という生き物に飲み込まれた。
その魚は讃岐国宇多津の沖で死んだ」
※「江豚」:『太平記』本文は「江豚という魚」と書くが、「江豚」は現在ではスナメリを指す語として用いられ、魚類ではなく哺乳類である。
100年余り後に網へ掛かる
「江豚は海底へ沈み、100年余りが過ぎた。
その後、漁師の網へ引き上げられ、お前のもとへ伝わった」
刀を得れば尊氏の世を奪える
「この刀さえ我々の物となれば、尊氏の世を奪うことは手の中の物を取るほど容易である」
先帝の命令だと告げる
「すぐに刀を差し出せという先帝の命令を受け、正成が使者として来た。
早く渡しなさい」
正成が言い終わらないうちに、雷が東西で鳴り響いた。
今にも落雷するかと思われるほどだった。
彦七は刀の柄を握る
それでも彦七は、少しもひるまなかった。
刀の柄が砕けるほど強く握り、言った。
美女へ化けたのも正成たちだったのか
「それでは先日、美しい女へ化け、私をだまそうとしたのも、あなた方の仕業だったのか」
用事だけなら重宝を惜しまない
「あなたとは生前から互いに言葉を交わしていた。
何か御用だと聞けば、どれほどの宝であっても惜しみはしない」
尊氏を滅ぼすためなら渡さない
「しかし、この刀を使って将軍の世を滅ぼすと聞いた以上、決して差し上げることはできない」
足利家から受けた恩
「私は取るに足りない者ではある。
しかし盛長は足利将軍方へ参じ、二心のない者として知られている。
厚い恩賞を受け、一族の暮らしも以前より豊かになった」
猿楽も武恩によるもの
「今、この猿楽を催して遊べるのも、すべて将軍から受けた恩の余りである」
武士の本意は心を変えないこと
「武士にとって最も大切なのは、心を変えず、忠義を守ることである」
体を切り刻まれても渡さない
「たとえ体を1寸(約3cm)ずつ切られ、骨を1本ずつ砕かれても、この刀は渡さない。
早く帰られよ」
彦七は空を激しくにらみ、立ち続けた。
正成は再び奪うと告げる
正成は激しく怒り、言った。
「好きなように言うがよい。
最後には必ず奪い取る」
再び空が光り、雲の行列は海上の彼方へ飛び去った。
見物人は逃げ散る
見物人たちは、
「彦七が空へ引き上げられるのではないか」
と恐れた。
子は親を呼び、親は子の手を引き、四方八方へ逃げた。
その夜の猿楽も、2、3番演じただけで中止された。
彦七は武装して怨霊を待つ
その4、5日後、一度雨が降った。
冷たい風が吹き騒ぎ、時々稲妻が光った。
彦七は言った。
「今夜こそ、例の化け物が来るに違いない。
正面から待ち受けてやろう」
中門で弓を構える
中門へ敷物を敷き、鎧と兜を着けた。
藤を2か所に巻いた大弓を手にし、中差(なかざし=戦闘用の矢)を何本も抜き出して並べ、鼻脂をつけるなど、矢を射る準備を整えた。
化け物の来るのが遅いと、待ち構えた。
黒雲の中から正成の声
予想どおり、夜中を過ぎるころ、明るかった月が突然曇った。
黒雲が一群、空を覆った。
雲の中から声がした。
「大森殿は、そこにおられるか。
先日申し上げた剣を急いで差し出すよう、綸旨が出た。
勅使として正成が再び参った」
彦七が正成へ質問する
彦七は聞くなり庭へ出た。
「今夜は必ず来られると思い、夕方からお待ちしていた」
初めは天狗か化け物と思っていた
「初めは正体の分からない天狗や化け物が変身したものだと思い、詳しい問答をしなかった。
しかし今、確かに綸旨を持つと聞いた。
それならば本当に楠殿なのだと、信じることにしよう」
同行者と死後の世界を尋ねる
「少し話が長くなるが、疑問を尋ねたい。
大勢の者が同行しているように見える。
いったい誰なのか。
また、あなたは六道四生のうち、どの世界へ生まれているのか」
正成が柳の梢へ降りる
正成は庭にある蹴鞠の懸かりの柳の梢へ、近く降りてきた。
そして答えた。
正成とともにいる7人
「正成と同行している主な者は、
- 後醍醐天皇
- 護良親王(兵部卿親王)
- 新田義貞
- 平忠正(右馬助。Wikisource本文では「平馬助忠政」と表記)
- 源義経
- 平教経
- 楠正成
の7人である。
このほかにも、数えきれないほどの者がいる」
後醍醐天皇の現在を尋ねる
彦七はさらに尋ねた。
「それでは先帝は、今どこにおられるのか。
従う方々は、どのような姿なのか」
先帝は欲界第六天にいると語る
正成は答えた。
「先帝は、もともと摩醯首羅王が姿を変えて現れた方である。
今は本来の場所へ戻り、欲界の第六天(仏教の世界観で、欲界の最上位にある天)におられる」
戦死者は修羅の眷属
「従う人々は皆、修羅の眷属となっている。
ある時は帝釈天と戦う。
ある時は人間界へ下り、怒りの激しい者の心へ入り込む」
正成は千頭王鬼となった
彦七が尋ねた。
「それでは、あなたはどのような姿なのか」
正成は答えた。
「私は最期に抱いた悪念に引かれ、深い罪を負った。
今は千頭王鬼となり、7つの頭を持つ牛へ乗っている」
怨霊の軍勢を見せる
「疑うのであれば、その姿を見せよう」
松明を14、15本、同時に激しく振り上げたような光が現れた。
彦七が空を見上げると、一群の雲の中へ恐ろしい軍勢が見えた。
12人の鬼が先帝の輿を担ぐ
12人の鬼が、玉で飾られた御輿を担いでいた。
護良親王と8匹の竜
その次には護良親王(兵部卿親王)が、8匹の竜に車を引かせ、その車に乗って先帝へ従っていた。
新田義貞・源義経
新田義貞は3000騎余りを率い、先陣を進んでいた。
源義経は、鎧を着た数百騎を率いて後陣を守っていた。
平教経の兵船
その後ろでは平教経が、300艘余りの兵船を雲の波へ浮かべていた。
平忠正の赤旗
平忠正(右馬助)は赤旗1流を掲げ、これも後陣へ控えていた。なお、Wikisource本文では「平馬助忠政」と表記されている。
7つの頭を持つ牛へ乗る楠木正成
さらに遠く離れた空には、楠木正成がいた。
湊川の戦いの時と少しも変わらず、
- 紺地錦の鎧直垂
- 黒糸威の鎧
を着ていた。
7つの頭を持つ牛へ乗っていた。
歴代の戦死者が空を埋める
このほか、
- 保元・平治の乱で討たれた者
- 治承・養和年間の源平争乱で死んだ者
- 元弘・建武年間に亡くなった兵
のうち、名を知られた者は皆、鎧を着て弓矢を持っていた。
空の10里ほどの範囲を、隙間なく埋めていた。ここでいう中世の「里」は長さが一定しないため、現在のkmへは単純換算しない。
軍勢は彦七にしか見えない
しかしこの光景は、彦七の目にしか見えなかった。
ほかの者には何も見えなかった。
彦七が周囲を振り返り、
「あれが見えないか」
と言おうとした時、軍勢は風に流される雲のように、少しずつ消えた。
楠木正成の声だけが残った。
彦七は幻に惑わされない
彦七は、これほどの怪異を見ても心を動かさなかった。
「『一翳(いちえい)眼に在れば、空花(くうげ)乱墜す』という。目に1つ曇りがあれば、何もない空にも花が乱れ落ちて見える、という意味だ。
姿が千変万化したとしても、驚くほどのことではない」
第六天魔王が来ても渡さない
「たとえ第六天の魔王が来て命令しても、この刀は渡さない。
手のひらを返すように、都合よく作られた綸旨をいただいても意味はない」
刀は将軍へ差し出すと宣言する
「皆、早く帰られよ。
この刀は足利将軍へ差し出すつもりである」
彦七はそう言い捨て、屋敷の中へ入った。
正成が通行を妨げると脅す
正成は大いに嘲笑した。
「伊予国が陸地で京都へつながっていたとしても、道を簡単には通さない。
まして海上を通ろうとしても、決して行かせるものか」
怨霊たちは同時に大笑いし、西を目指して飛び去った。
彦七が狂乱する
その後、彦七は狂ったようになった。
山を走り、水へ潜ることが、休む時もなかった。
太刀を抜き、矢を放つことも絶えなかった。
一族が彦七を閉じ込める
一族は相談し、彦七を一室へ押し込めた。
家臣たちは弓矢や武器を持ち、警護した。
天井から巨大な手が現れる
ある夜、再び激しい雨風が通り過ぎ、稲妻が頻繁に光った。
家臣たちは、
「例の楠木正成が来たのではないか」
と怪しんだ。
予想どおり、彦七が寝ている部屋の障子が、大きな音を立てて踏み破られた。
何十人もの者が入ってきたような音がした。
警護の者には敵が見えない
警護の家臣たちは飛び起き、太刀・長刀の鞘を外した。
「夜討ちが入った」
と考え、敵を探した。
しかし、どこにも姿がなかった。
毛に覆われた手が彦七をつかむ
すると天井から、熊の手のように毛が生えた長い腕が下りてきた。
彦七の髻をつかみ、空中へつり上げた。
そのまま破風口から連れ去ろうとした。
彦七が刀で三度刺す
彦七は空中へつり下げられながら、例の刀を抜いた。
化け物の体の中央を、3度刺した。
軒上で化け物を押さえ込む
化け物は刺され、少し弱ったように見えた。
彦七は化け物へ組みついた。
破風から広い庇の軒上へ一緒に落ち、化け物を押さえつけた。
さらに何度も刀を突き刺し、ついには7太刀に及んだ。
牛の頭が残される
急所を刺されたためだろうか。
化け物の脇の下から、鞠ほどの大きさの物が突然抜け出し、空へ飛び上がった。
軒の上には牛の頭
家臣たちが梯子を掛け、軒上へ登った。
そこには牛の頭が1つ残されていた。
牛の頭を打ち砕く
人々は言った。
「これは楠木正成が乗っていた牛の頭だろうか。
あるいは正成の魂が宿る物だろうか」
牛の頭を中門の柱へ結びつけた。
一晩中、鳴き声を上げ、激しく動いた。
家臣たちは頭を打ち砕き、水底へ沈めた。
大きな蜘蛛が警護の者を眠らせる
翌夜も月が曇り、風が悪く、不気味な様子だった。
警護の者たちは遠侍へ大勢並んだ。
「一晩中眠らないようにしよう」
と、碁や双六をして遊んだ。
100人余りが同時に眠る
夜中を過ぎるころ、上も下も合わせて100人余りの警護の者が、同時に、
「あっ」
と声を上げた。
皆、酒に酔った者のようになり、頭を垂れて眠った。
禅僧が寺蜘蛛を見る
その場に1人だけ、眠らなかった禅僧がいた。
灯火の光で見ると、大きな寺蜘蛛が1匹、天井から下りてきた。
眠っている人々の上をはい回り、再び天井へ上った。
彦七が再び化け物と戦う
その後、彦七が突然目を覚ました。
「分かったぞ」
と言った。
人と組み合っているような姿となり、上になったり下になったりして転がった。
家臣を呼ぶ
しばらく戦ったが、かなわなくなったのだろう。
「皆、来い!」
と叫んだ。
家臣たちは蜘蛛の糸で縛られている
そばで寝ていた者たちが起きようとした。
しかし、ある者は髻を柱へ結びつけられていた。
ある者は自分の足へ、ほかの者の手を結ばれていた。
網へ掛かった魚のように、動けなかった。
強力の武士も動けない
禅僧が驚いて近づいてみると、怪力の武士たちが、わずかな蜘蛛の糸で手足を縛られ、まったく動けなくなっていた。
彦七が化け物を押さえる
彦七は叫んだ。
「化け物を押さえつけている。
火を持って来い!」
押さえていた物が砕ける
家臣たちは、どうにか糸を解いて起き上がった。
ろうそくをともして見ると、彦七が膝で押さえている物が、逃れようと激しく動いていた。
全員で手を重ね、逃さないよう押さえた。
すると大きな土器が割れるような音がし、物は粉々に砕けた。
砕けた死人の首
手を離して見ると、乾いて白骨化した死人の首だった。
眉間の中央から割れ、半分だけが残っていた。
刀を奪われたことに気づく
彦七は大きく息をついた。
しばらく心を静め、腰を探った。
化け物に刀を奪われ、鞘だけが残っていた。
将軍の運を心配する
彦七は言った。
「私はすでに疫病神に魂を奪われた。
今後どれほど勇敢に振る舞っても、どうにもならないだろう」
自分の命より将軍の運
「自分の命など問題ではない。
しかし足利将軍の運は、どうなるだろう」
彦七は顔色を変え、涙を流し、震えた。
見聞きした者は皆、身の毛を逆立てた。
空から刀が刺さった首が落ちる
夜がさらに深くなった。
有明の月が中門へ差し込んだ。
簾を高く巻き上げ、庭を見ると、空から鞠のような物が光りながら、草むらへ落ちた。
奪われた刀が首を貫いている
人々が走り出て見ると、先ほど彦七が砕いた首の残り半分だった。
例の刀が、まるでひとりでに抜けたかのように、首へ柄元まで深く突き刺さっていた。
不思議としか言いようがなかった。
首を焼き砕く
首を取って火の中へ投げ入れた。
すると火から跳び出した。
金属の火箸で押さえ、完全に焼き砕いて捨てた。
7度で終わったと思う
騒ぎが静まった後、彦七は言った。
「もう化け物は来ないだろう。
楠木正成が同行していると語った者が、これまで私のもとへ来た回数は7度である。
これで終わりだろう」
人々も、
「確かにそう思われる」
と同意した。
巨大な女の首が現れる
すると空中から、しわがれた声がした。
「7人だけとは限りませんよ」
人々が驚いて空を見上げた。
庭の蹴鞠の懸かり木に、巨大な女の首があった。
女の首が嘲笑する
太い眉を描き、歯を黒く染めていた。
顔の大きさは4、5尺(約1.2〜1.5m)ほどに見えた。
乱れた髪を振り上げ、目を見張るほどの笑みを浮かべた。
そして、
「恥ずかしいことですね」
と言い、後ろを向いた。
人々は全員気を失う
その姿を見た者は、
「あっ」
と叫び、同時に倒れ伏した。
蟇目の矢も効かない
「このような化け物は蟇目の音を恐れる」
と聞き、毎晩、番人を置いて蟇目の矢を射させた。
しかし空では、化け物の大笑いする声が毎回、天へ響いた。
陰陽師の札も捨てられる
次に陰陽師へ門を封じさせた。
護符を書かせ、各門へ貼った。
すると目に見えない者が来て、護符をはがして捨てた。
禅僧が大般若経を勧める
人々が、
「どうすればよいのか」
と思い悩んでいると、彦七の縁者である禅僧が来た。
禅僧は言った。
「今現れている悪霊は、すべて修羅の眷属です。
これを鎮めるには、大般若経を読むより優れた方法はありません」
帝釈天と修羅の戦い
「帝釈天と修羅が須弥山の中央で戦う時、帝釈天が勝てば、修羅は小さな姿となり、蓮の茎の糸ほどの穴へ隠れます」
修羅が勝つ時
「反対に修羅が勝てば、須弥山の頂へ座ります。
手には太陽と月を握り、足では大海を踏みます」
三十三天まで攻め上る
「さらに三十三天まで攻め上り、帝釈天の居所を奪います。
欲界の生き物すべてを自分の支配下へ置こうとします」
諸天善神が般若を講ずる
「その時、諸天善神は善法堂へ集まり、般若経を講じます。
すると空から輪宝が下り、剣や矛を雨のように降らせ、修羅を寸断すると説かれています」
法力によって魔を降す
「三十三天を支配する帝釈天でさえ、自分の力だけでかなわない時には、仏法の威力によって魔王を降伏させます。
まして力の弱い普通の人間なら、法力を借りなければ悪霊を退治できません」
大般若経を昼夜読む
人々は、
「確かに道理がある」
と考えた。
急いで多くの僧を招き、大般若経600巻を省略せず読む「真読」を、昼夜にわたって6部(600巻を1部として6組)行った。
空中で大戦争が起こる
般若経を読む力によって、修羅が威力を失ったのだろうか。
康永元年(1342年)5月3日の夕方、導師が高座へ上り、法会開始の鐘を鳴らした時だった。
※元号について:北朝では暦応5年(1342年)4月27日に康永元年へ改元されたため、同じ1342年でも、春の前半は「暦応5年」、5月3日は「康永元年」となる。
突然、空が曇った。
雲上の車馬と武器の音
雲の上で車を走らせ、馬を駆け違わせる音が絶え間なく響いた。
矢じりが鎧を貫く音は、雨音よりも激しかった。
剣や矛を交える光は、輝く星と変わらなかった。
怨霊は姿を見せなくなる
聞く者、見る者は皆、肝を冷やして恐れた。
やがて戦いの音がやみ、空も晴れた。
彦七の狂乱は治った。
楠木正成の霊も、夢にさえ現れなくなった。
『太平記』が語る宮方衰退との関係
『太平記』は、この法会によって、足利方の敵軍へ威力を与えようとした楠木正成の怨霊が鎮められたとする。
その後、
- 脇屋義助
- 大館氏明
- 土居氏
- 得能氏
ら宮方の武将は、討たれたり、自害したりして、ほとんど姿を消したと語る。
仁王経・大般若経の功徳
仏教説話では、インドの班足王は、仁王経の功徳によって1000人の王を殺すことをやめたという。
日本の楠木正成も、大般若経を読む縁によって、貪欲・怒り・愚かさの三毒から逃れられたのだとする。
国家と民を守る経典
大般若経は、国家を守護する経典の王であり、民衆を利益するための大切な教えであると、物語は結んでいる。
刀を足利直義へ献上する
その後、例の刀は天下の霊剣であるとして、怪異の詳しい報告書を添え、足利方へ献上された。
直義が刀を賞翫する
足利直義は刀を見て言った。
「これが事実であるならば、末世における奇跡として、これに勝るものはない」
刀の外装を作り直させ、小竹作の名刀と並べて大切にしたという。
砂に埋もれた古刀が再び光る
長い間、砂へ埋もれ、折れた刀のように見えていたこの剣は、大森彦七の報告によって、天を突くような光を再び放つこととなった。
まことに不思議な出来事だった。
204. 足利直義の病――光厳上皇、石清水八幡宮へ願書を奉る
天下は足利方へ帰したように見える
各地の宮方は次第に力を失った。
天下は足利方の武力へ帰し、京都も平静になったように見えた。
政治と宗教は乱れていた
しかし武家は仏・神・三宝を敬わなかった。
大臣を指す「三台」や、五摂家を指す「五門」の所領も返さなかった。
政治は、すべて泥や炭の中へ落ちたように乱れていた。
人々は、
「この世は、これからどうなるのだろう」
と語り合った。
後醍醐天皇崩御後の怪異
吉野の後醍醐天皇が延元4年/暦応2年(1339年)に崩御した後、『太平記』はさまざまな怪異が起きたと語る。
車輪ほどの大きさを持つ光る物が、毎夜のように京都を目指して飛んだ。
そのほかにも、多くの不吉な現象が現れた。
疫病が広がる
人々が、
「不思議なことだ」
と話していると、疫病が家々へ広がった。
身分の高い者も低い者も、激しく苦しんだ。
直義が突然病に倒れる
ここで物語の時間は少しさかのぼる。暦応5年(1342年)2月5日の夕方から、足利直義が突然病に倒れた。『太平記』は、これを「邪気に侵された」と表現している。
心身が乱れ、全身が締めつけられるように苦しんだ。
諸寺の高僧が祈る
諸寺の名高い僧や高僧へ命じ、熱心な祈祷を行わせた。
陰陽師も祭祀を行う
陰陽寮では、
- 鬼見(きけん)
- 泰山府君をまつる祈祷
などの祈祷を行った。
そのために多くの財宝を焼き、供えた。
医師も治療の限りを尽くす
医師や典薬寮の役人は、中国の名医である倉公(淳于意)や華佗の術を尽くすように治療した。
しかし直義の病は治らなかった。
病状は日ごとに重くなる
病は日ごとに重くなった。
「もはや命は助からないのではないか」
と思われた。
京都中が直義の死を恐れる
京都の身分ある者から庶民までが驚いた。
「もし直義殿が亡くなれば、平重盛が早く亡くなった後、平家の運がたちまち尽きたのと同じことになるだろう」
と考えた。
政治の崩壊を心配する
「直義がいなくなれば、天下の政治は完全に意味を失うだろう」
嘆かない者はいなかった。
光厳上皇が深く心配する
光厳上皇(『太平記』本文の「持明上皇」)は、この知らせを聞き、特に深く心配した。
ひそかに勅使を石清水八幡宮へ送った。
そして一通の願書を神前へ納め、さまざまな誓願を立てた。
上皇の願書
願書には、およそ次のように書かれていた。
敬って祈願申し上げます。
神霊が明らかな徳を示される根本は、民を安らかにし、国を治めることにあります。
王者が政治と教化を行う時には、功績ある者を賞し、賢い者を尊ぶことを第一とします。
直義は国家を支える良将
左兵衛督直義朝臣は、ただ敵を討つ爪や牙となる優れた武将であるだけではありません。
すでに君主の手足として政治を補佐する、賢明な臣となっています。
国の安危は直義にかかる
天下が安らかになるか、危機へ陥るかは、ひとえにこの人物の力へかかっています。
大河を渡る舟のように、長くこの弱い身の願いを満たしてくれました。
君臣であり父子のようでもある
関係は君主と臣下ですが、その思いは父と子のようです。
薬も効かない
ところが近ごろ、長く立ち込める霧のような病が、その身へ迫りました。
薬や治療も効きません。
驚き、悲しみ、どうすることもできません。
神の守護を願う
目に見えない神の守護がなければ、どうして病の原因を除き、平癒することができるでしょうか。
病の根を速やかに除くよう祈る
そこで心中に願いを立て、御社の前で祈願いたします。
神霊に怒りの御心があったとしても、私が深く祈り、謝罪する誠をお受け取りください。
願いへすぐに応じ、病の根を速やかに消してください。
病が治れば7日間の供養を行うと誓う
もし真心に応えて直義の病の根が速やかに消えたならば、7日間を定め、天下に名高い学僧を集め、妙法の偈を講じてたたえさせます。
また尊勝供という修法を勤めさせます。
八幡神へ祈る
どうか尊い神よ、この上皇の願いを哀れみ、お受け取りください。
文治によって乱を治めた昔、朝廷と武家が心を1つにしたことを忘れず、今も国家を安全にする霊験を速やかにお示しください。
天下の繁栄を願う
天皇の御代が長く栄え、天下が穏やかに輝くようにしてください。
敬って申し上げます。
暦応5年(1342年)2月。なお、願書本文は月までを記し、具体的な日にちは示していない。
勅使が涙を流して読み上げる
勅使の勘解由長官公時は願書を開いた。
八幡宮の神前へひざまずき、涙を流しながら、高らかに読み上げた。
宝殿が振動する
すると宝殿が、しばらく振動した。
御殿の妻戸が開く、かすかな音も聞こえた。
3日以内に直義が回復する
『太平記』は、君臣が心を1つにした誠に神が感じ、守護を加えたのだろうか、と語る。
勅使が京都へ戻ってから3日のうちに、直義の病はたちまち治ったと『太平記』は記す。
周公旦の故事にたとえる
この話を聞いた人々は言った。
「ありがたいことである。
昔、周の武王が病に倒れ、亡くなろうとした時、周公旦は天へ祈り、自分の命を代わりに差し出そうとした。
すると武王の病は、たちまち治った。
天下が平和になった故事と、よく似ている」
人々は上皇の徳を称賛した。
吉野方の人々は偶然だと笑う
一方、吉野の南朝方へ心を寄せる者たちは言った。
「くだらないことを言ってはならない。
神は礼に外れた供え物を受けない。
正直な者の頭へ宿るという。
なぜ、へつらいと偽りの祈りを受けるだろうか。
ただ病が治る時期と、願書を納めた時期が偶然重なっただけである」
このように嘲笑する者も多かった。
205. 土岐頼遠、光厳上皇の御車へ矢を射る――御幸狼藉と処刑
『太平記』本文では9月3日――伏見上皇の忌日
『太平記』本文では、康永元年(1342年)9月3日は、亡くなった伏見上皇の御命日だったとする。
特に伏見上皇ゆかりの御所で法要を行うため、光厳上皇(本文の「持明院上皇」)は伏見殿へ向かった。
※日付について:『太平記』本文は9月3日としている。一方、一般的な歴史叙述では、土岐頼遠の狼藉事件は康永元年(1342年)9月6日とされる。以下では『太平記』本文の流れを残し、違いを区別して読む。
荒れ果てた伏見殿
伏見殿は以前、
- 紫色の楼閣
- 青い御殿
- 珍しい樹木
- 変わった形の石
を集めた、美しい離宮だった。
主を失った御所
しかし主が去ってから、長い年月が過ぎていた。
昔の面影はなく、すっかり荒れ果てていた。
薄・鶉・葎の御所
辺りは一面の薄野となっていた。
鶉が伏す草むらには露が多かった。
幾重にも生えた葎が門を閉ざしていた。
荻を吹き荒らす風が、軒端を通った。
板の隙間から漏れる月の光は、苔にさえ遮られなかった。
昔の秋を思い出させ、人々の涙を誘った。
無常を説く法話
秋の景色は、見る物すべてへ悲しみを添えた。
時は人を待たず、無常は速やかに訪れる。
身分の高い者も低い者も、皆いつか昔の人になる。
導師は仏弟子・富楼那のような弁舌を借り、長い時間にわたって法を説いた。
上皇と旧臣が涙する
上皇をはじめ、昔から仕えた臣下や老学者たちは、直衣や束帯の袖を絞れるほど涙を流した。
法要を終え夜に帰る
さまざまな追善供養が行われた。
秋の日は短く、間もなく暮れた。
9月3日の月夜
9月3日の夜の月は、雲間から現れては、また姿を消した。
空を飛ぶ雁の声が聞こえ、伏見の田も寂しく感じられた。
松明をともして還御する
辺りが静まると、松明をともして京都へ帰ることになった。
夜は、まだそれほど深くなかった。
御車は東洞院通を北へ進み、五条付近を通った。
土岐頼遠と二階堂行春
その時、
- 土岐頼遠(弾正少弼)
- 二階堂行春(下野判官)
が通りかかった。
2人は今比叡の馬場で笠懸を行い、その後、芝生で大酒を飲んでいた。
長く飲み続け、夜になって帰る途中だった。
樋口東洞院で御幸へ出会う
2人は偶然、樋口東洞院の辻で、上皇の御幸へ出会った。
召次が下馬を命じる
上皇に仕える召次たちは前方へ走り出た。
「何者だ。
無礼である。
馬から下りよ」
と叫んだ。
二階堂行春は下馬する
二階堂行春は、その言葉を聞いて上皇の御幸だと理解した。
すぐに馬から飛び降り、道端へひざまずいた。
土岐頼遠は下馬しない
しかし土岐頼遠は、御幸だと知らなかったのだろうか。
あるいは当時権勢を得て、世間を恐れず、思うままに振る舞っていたためだろうか。
馬に乗ったまま、言った。
「この頼遠を下馬させる者はいない」
「今の京都で、この頼遠を馬から下ろせる者がいるとは思わなかった。
いったい、どこの愚か者がそのようなことを言うのか。
あの下人どもへ、1人ずつ蟇目の矢を射かけてやれ」
御随身が上皇の御幸だと告げる
上皇の前を進む者や御随身たちは走り回り、口々に叫んだ。
「どこの田舎者だ。
このような乱暴をするとは何事か。
上皇の御幸であるぞ!」
「院か犬か」
頼遠は酒に狂った心が、ますます激しくなったのだろう。
大笑いして言った。
「何だ、院というのか。
犬というのか。
犬ならば射落としてやろう」
上皇の御車を射る
頼遠は上皇の御車を中央へ取り囲み、馬を走らせた。
御車を追物射の的とするように、矢を次々と射かけた。
竹林院公重が太刀を抜く
上皇の後方には、竹林院中納言公重が従っていた。
公重は衛府の太刀を抜き、御車へ駆け寄った。
御車を急いで進めるよう命じる
「このように嘆かわしい狼藉があるものか。
御車を急いで走らせよ」
と命じた。
牛の装具が切られる
しかし御車を引く牛の胸懸けは切られた。
首木も折れた。
牛童たちも散り散りになった。
公卿・殿上人も打ち落とされる
供をしていた公卿や殿上人も、皆、打ち落とされた。
御車へ当たる矢を防ぐ者さえいなかった。
御車が路上へ倒れる
御車の下簾は、すべてはね落とされた。
30本ある車輪の輻(や=中心から外側へ伸びる棒)のうち、何本かが折れた。
御車は路上へ横倒しとなった。
上皇は夢のように感じる
あまりにもひどく、言葉で表せない出来事だった。
上皇は夢の中にいるように感じ、何が起きているのか判断できなかった。
公重を見て涙を流す
竹林院公重が御前へ参上した。
上皇は、
「公重か」
とだけ言った。
そのまま涙にむせんだ。
公重が上皇を慰める
公重も涙を抑えながら申し上げた。
「近ごろの天下では、野蛮な者が上へ立ち、無礼が極まっております。
何とも申し上げようがございません」
日月はすべてを見ている
「しかし太陽と月が、まだ天へ掛かっているのであれば、善悪を照らし御覧になることに疑いはありません」
上皇は少し心を慰めた。
神々も天皇へ礼を尽くす
上皇は言った。
「そのとおりである。
聞いたことがあるだろうか。
五条天神でさえ、天皇の御出ましを聞けば宝殿から下り、御幸の道へひざまずくという」
宇佐八幡も勅使を迎える
「宇佐八幡は勅使が来るたびに威儀を整え、丁重に神託を返すと聞く」
武臣の無礼が極まった世
「いくら武臣が無礼な時代とはいえ、このような狼藉を目の前で見るとは思わなかった」
守護神もいなくなったのか
「今は末世の乱れた風俗となり、天皇を守る神もおられなくなったのだろうか」
上皇は御衣の袖を顔へ当て、泣いた。
泣きながら京都へ戻る
公重も涙で目の前が暗くなった。
牛童を何人か探し出し、上皇は泣きながら御所へ戻った。
直義が天下の政治を行っていた
そのころ足利直義は、尊氏に代わって政務を担当し、天下の実権を握っていた。
直義は前代未聞の罪と断じる
直義は事件を聞き、言った。
「外国においても、このような例を聞いたことがない。
まして日本では、見たことも聞いたこともない事件である」
三族を罰しても足りない
「罪を論じれば、本人だけでなく三族(本人を中心とする広い範囲の一族)へ刑を行っても足りない。
五刑(古代中国でいう5種類の刑罰)のどれへ当てても、罪に釣り合わない」
車裂きや塩漬けを考えるほど怒る
「ただちに彼らを召し出し、車裂きにするべきか。
それとも肉を刻み、塩漬けにするべきか」
直義は、それほど激しく怒った。
頼遠・行春が国へ逃げる
頼遠も行春も、
「このままでは大変なことになる」
と考え、それぞれ自分の国へ逃げ帰った。
追討軍派遣が決まる
幕府では、
「ただちに討手を派遣し、2人を討伐する」
という評議が決まった。
行春は京都へ出頭する
二階堂行春は、
「逃げ続けることはできない」
と考えたのだろう。
首を差し出す覚悟で京都へ戻った。
行春は讃岐へ流される
行春は、
「自分には罪がない」
と、さまざまに弁明した。
事件の経過が詳しく調査された。
行春は頼遠より罪が軽いとして、死刑を免れ、讃岐国へ流された。
頼遠は美濃で謀反を計画する
土岐頼遠は罪を逃れることができなかった。
美濃国へ立てこもり、謀反を起こそうと相談した。
親しい者や一族を呼び集めていると伝えられた。
甥の頼康らへ討伐命令が出る
幕府は急いで討手を送り、頼遠を討つことにした。
まず頼遠の甥・土岐頼康をはじめ、土岐一族の有力者へ命令書を送った。
頼遠は夢窓国師を頼る
頼遠は一族の協力を得られず、謀反を実行できなかった。
「どうすればよいか」
と考え、ひそかに京都へ戻った。
そして夢窓疎石(夢窓国師)へ助命を頼んだ。
夢窓は公家・武家から尊敬されていた
夢窓疎石(夢窓国師)は当時、天下第一の高僧だった。
朝廷からも武家からも、並ぶ者がないほど尊敬されていた。
頼遠は、
「夢窓が仲介すれば助かるだろう」
と期待した。
直義は本人を処刑し子孫を助ける
しかし直義は言った。
「これほどの大逆を軽く見逃せば、今後の悪い先例となる。
ただし夢窓国師の申し入れを、まったく無視することもできない」
頼遠だけを処刑する
「本人は処刑する。ただし子孫の所領は安堵し、家は存続させよう」
これが直義の返事だった。
六条河原で斬首される
頼遠は侍所の細川顕氏へ引き渡された。
最後には六条河原で首を斬られた。
※処刑日:一般的な歴史では、土岐頼遠は康永元年(1342年)12月1日に処刑されたとされる。『太平記』本文はこの箇所では処刑の日付を記していない。
弟の周済房は助命される
頼遠の弟に周済房という者がいた。
この者も処刑すると一度は決まった。
しかし事件に加わっていなかったことを示す証拠が明らかだった。
そのため死刑を免れ、すぐに本国へ戻った。
天竜寺へ書かれた狂歌
夢窓国師が武家へ仲介したにもかかわらず、頼遠を救えなかった。
誰かがこれを嘲笑し、天竜寺の脇壁へ狂歌を書いた。
いしかりし
時は夢窓に
食らはれて
周済ばかりぞ
皿に残れる
意味は、およそ次のようになる。
おいしかった斎(とき=食事)は夢窓に食べられ、皿には周済(すさい=酢菜)だけが残った。
「とき」は「斎(食事)」と「土岐」を掛け、「周済(しゅうさい/すさい)」には「酢菜(すさい=酢で味つけした菜)」を重ねた狂歌である。「いしかりし」は「おいしかった」という意味で、頼遠を救えなかった夢窓疎石を皮肉っている。
頼遠は大功を立てた武将だった
土岐頼遠は当時、大敵を何度も打ち破り、足利方へ忠節を尽くしていた。
恩賞もほかの者より厚く、受けた恩禄も特別だった。
一度の狼藉によって身を失う
しかし今度の乱暴な振る舞いによって、再三の取りなしも受け入れられなかった。
たちまち命を失った。
人々は直義の政治を称賛する
人々は、
「天地や太陽・月の道理は、まだ変わっていなかった」
と恐れた。
そして身内や功臣であっても罪を許さなかった直義の政治を称賛した。
田舎人の「院」と「将軍」の冗談
『太平記』の作者は、当時の社会を「文明の国が異民族の国へ変わったようだ」と嘆いている。
そのため「院」や「国王」というものを知らない者までいた。
「将軍の前では地面をはうのか」
人々が、
「土岐頼遠は上皇の御幸へ出会って乱暴を働き、首を斬られた」
と話した。
すると通りかかった田舎者たちは言った。
「院に会っただけで馬から下りなければならないのなら、将軍に会った時には地面をはわなければならないのか」
乱世には滑稽な出来事も多い
このように嘆かわしい時代であったが、その中には滑稽な出来事も多かった。
荒れた車へ乗る殿上人
ある時、1人の殿上人(昇殿を許された公家)が北野方面へ向かっていた。
誰であったかは分からない。
破れた簾の間から見ると、40歳余りだった。
眉を描き、歯を黒く染め、立烏帽子をかぶっていた。
壊れた車と疲れた牛
轅の表面が剥げた古い車へ乗っていた。
車を引く牛は疲れ切り、打っても進まなかった。
派手な武士20〜30騎
当時、京都には武士が満ちていた。
勢力を得た者は数えきれなかった。
そこへ誰とも分からない、派手な武士の一団が現れた。
酒を飲みながら馬で進む
太くたくましい馬へ、思い思いの鞍を置いていた。
武士たちは唐笠をかぶり、毛沓を履いていた。
色とりどりの小袖を脱いで肩へ掛けていた。
酒を温め、その火にくべて残った紅葉の枝を、1人ずつ手に取って掲げていた。
早歌を交えながら雑談し、20〜30騎で馬を進めていた。
大内野の芝や花を、露ごと蹴散らして通った。
武士たちは殿上人を上皇と思う
一団の主人と思われる騎馬武者が、古い車を見つけた。
「ほら、あれこそ例の『院』という恐ろしい者に違いない」
頼遠の二の舞を恐れる
「土岐頼遠ほどの者でも、あれほど恐ろしい者へ出会ったため、一生を失った。
まして我々のような者が、何かとがめられてはたまらない。
皆、馬から下りよう」
武士全員が地面へひれ伏す
武士たちは一斉に馬から飛び降りた。
頭へかぶった布を外し、笠を脱いだ。
頭を地面へつけ、深くひれ伏した。
殿上人は武士を土岐一族と思う
車へ乗った殿上人も、それを見た。
「ああ、何ということだ。
あれは土岐頼遠の一族ではないか」
と慌てた。
「院さえ射る者なら自分も危ない」
「上皇の御車さえ激しく射た者たちである。
まして自分のような者が、車から下りなければ危険だろう」
車から飛び降りる
殿上人は慌てふためき、牛を車から外すこともなく、走り出した車から飛び降りた。
立烏帽子が落ちる
車が勝手に前へ進んだため、殿上人は車軸へぶつかった。
立烏帽子が落ち、髻がむき出しになった。
片手で髻を押さえ、片手に笏
殿上人は片手で髻を押さえた。
もう片方の手で笏を持ち直した。
そして騎馬武者の前へひざまずき、
「いかに、いかに」
と挨拶した。
前代未聞の奇妙な光景だった。
北野参詣の人々が笑う
その日は北野天満宮の特別な縁日だった。
参詣する身分ある者や庶民が、布を引くように道へ連なっていた。
殿上人が武士へ髻を見せる規則はない
人々は、この様子を見て言った。
「何ともおかしな姿だ。
道での礼儀は、弘安年間に定められた格式(礼法の決まり)に示されている。
そこにも、殿上人が武士へ出会った時、車から下りて髻を見せよとは書かれていない」
笑わない者はいなかった。