今回確認した『南方紀伝』の手書き写本は物理的に全4冊ですが、明治期活字本の本文は全5巻構成です。このページでは、両者の冊数・巻数・本文終点が一致しない問題を、確認できる事実と未解決の可能性に分けて整理します。
ここでいう「冊」は、現存する写本の物理的なまとまりです。「巻」は、明治期活字本に示された本文上の区分です。冊数と巻数は同じ種類の単位ではないため、「4冊だから4巻」「5巻だから写本も5冊あった」と直ちに換算することはできません。
現段階の結論:写本4冊と活字本5巻の関係は未解決です。本サイトでは、活字本第25~32画像を活字本巻五相当部分――伝本・巻立て上の位置づけ未確定として扱います。
この範囲を「後世に追加された付録」「失われた写本第5冊の本文」「近藤瓶城が新たに加えた増補」などとは断定しません。いずれも検討可能性の一つにすぎず、現時点の資料では確定できません。
第33画像左丁から始まる「菊池伝記総目録」は、『南方紀伝』の巻五・付録・補遺ではなく、刊本で次に収録された別史料です。
写本4冊・本文5巻の問題
- まず区別すべき「冊」と「巻」
- 確認できた事実
- 写本と活字本の比較
- 手書き写本第4冊の終点
- 活字本第25画像以後の継続
- 近藤瓶城の巻末識語
- 三つの資料事実が一致しない
- 現段階で証明されていないこと
- 検討すべき可能性
- なぜまだ確定できないのか
- 本サイトでの表示方針
- 今後必要な調査
- 読者向けの確認手順
まず区別すべき「冊」と「巻」
| 用語 | このページでの意味 | 注意 |
|---|---|---|
| 冊 | 表紙・本文・裏表紙等を一つに綴じた、現存写本の物理的単位 | 一冊が本文上の一巻と一致するとは限らない |
| 巻 | 明治期活字本が本文を分けた巻立て上の単位 | 一巻が一冊の写本から翻刻されたとは限らない |
| 本文範囲 | 各資料が実際に収録する年代・記事の範囲 | 冊数・巻数とは別に確認する必要がある |
| 伝本 | 書写・伝来された個々の写本や、その本文系統 | 現存4冊と活字本底本が同じ系統かは未確定 |
| 底本 | 活字化・校訂の基礎に使われた資料 | 活字本がどの写本を使ったか、今回の確認資料だけでは確定しない |
| 巻立て | 本文をどこで区切り、何巻に分けるかという構成 | 同じ内容でも伝本・編集によって異なる可能性がある |
したがって、「写本が4冊である」という事実と、「活字本が5巻である」という事実は、そのまま一対一で比較できません。問題は、各冊・各巻にどの本文が入り、どこで終わるかを照合して初めて見えてきます。
確認できた事実
- 国立公文書館所蔵の今回確認した手書き写本は、物理的に全4冊である。
- 写本第4冊の編年本文は、応永34年(1427年)の赤松満祐上洛記事で終わる。
- 写本第4冊末尾には、大型朱印二顆がある。
- 明治期活字本の本文は、全5巻構成である。
- 活字本第25画像冒頭には、写本第4冊末尾の赤松満祐上洛記事と重なる部分がある。
- 活字本は重複記事の後も続き、第25~32画像に正長・永享・嘉吉・文安・宝徳・享徳・康正・長禄年間の記事を収録する。
- 活字本文の最終年代は長禄2年(1458年)である。
- 近藤瓶城の明治33年(1900年)6月の巻末識語は、『南方紀伝』を元弘元年から応永34年までの書として説明する。
- 同識語は興国2年から正平21年までの記事が欠けること、作者が詳らかでないことを記す。
- 識語の後に「南方紀伝下終」があり、刊本上の『南方紀伝』の終端を示す。
- 第33画像左丁からは、別史料「菊池伝記総目録」が始まる。
ここまでが、今回確認した写本画像、活字本画像、巻末識語、作業台帳から直接確認できる範囲です。
写本と活字本の比較
| 項目 | 手書き写本 | 明治期活字本 |
|---|---|---|
| 物理・編集単位 | 全4冊 | 本文全5巻 |
| 今回の公開画像 | 4冊・全143画像 | 『南方紀伝』関係全33画像 |
| 本文の開始 | 元弘元年(1331年) | 元弘元年(1331年) |
| 本文の終点 | 応永34年(1427年) | 長禄2年(1458年) |
| 第4冊・巻四末尾 | 赤松満祐上洛記事と大型朱印二顆で終了 | 第25画像冒頭で同記事と重なる |
| 重複後の本文 | 今回確認した4冊にはない | 第25~32画像に続く |
| 巻末の書誌説明 | 近藤瓶城識語は写本本文ではない | 元弘元年~応永34年と説明 |
| 刊本上の終端 | 該当なし | 第33画像右丁「南方紀伝下終」 |
| 次に続く史料 | 該当なし | 第33画像左丁「菊池伝記総目録」 |
開始年代は共通しますが、終点は一致しません。また、活字本の巻末識語が説明する応永34年という終点は写本第4冊と一致する一方、識語の直前まで活字本文自体は長禄2年まで続いています。
手書き写本第4冊の終点
写本第4冊は、応永4年(1397年)から応永34年(1427年)までを収録します。編年本文の末尾は、赤松満祐が上洛したという記事です。
その後に大型朱印二顆があり、今回確認したPDFでは裏表紙へ至ります。少なくとも、今回確認した第4冊の後ろに、正長・永享以後の本文が綴じ込まれている状態ではありません。
ただし、このことだけで「原本も必ず応永34年で完結した」「かつて第5冊が存在しなかった」と証明することはできません。現存する4冊の状態と、作品成立時の原構成は分けて考える必要があります。
活字本第25画像以後の継続
活字本第25画像の冒頭は、写本第4冊末尾の赤松満祐上洛記事と重なります。写本では上洛月を十二月、活字本では十一月とする異同がありますが、記事の接続位置を確認できる重要な重複です。
活字本は、その重複部分の直後も続きます。第25~32画像には、足利義持の死、籤による足利義教の選定、永享の乱、結城合戦、嘉吉の変、禁闕の変、後南朝の抵抗、享徳の乱、堀越公方、神璽奪還、赤松氏再興などの記事が収録され、長禄2年(1458年)で終わります。
今回確認した写本4冊には、このうち第25画像冒頭の重複記事より後へ直接対応する本文がありません。そのため、巻五相当部分では写本との逐字比較を行えず、明治期活字本の第一次解読・校訂・現代語訳を中心に公開しています。
近藤瓶城の巻末識語
明治期活字本第33画像右丁には、明治33年(1900年)6月付の近藤瓶城による識語があります。識語は、『南方紀伝』を後醍醐天皇の元弘元年から称光院の応永34年までを記す書として説明します。
さらに、興国2年から正平21年まで二十七年間の記事が欠けること、作者が詳らかでないことを記します。識語の後には「南方紀伝下終」とあります。
この識語は明治期編集者による書誌説明であり、中世の写本本文そのものではありません。しかし、写本第4冊の終点と同じ応永34年を『南方紀伝』の終点として説明しているため、4冊・5巻問題を考える上で重要です。
一方、識語の直前まで活字本文は長禄2年まで続いています。近藤瓶城が、応永34年までという説明と巻五相当部分をどのような関係として理解していたのかは、識語だけからは分かりません。
三つの資料事実が一致しない
| 資料事実 | 示される終点 |
|---|---|
| 今回確認した手書き写本第4冊 | 応永34年(1427年) |
| 明治期活字本の本文 | 長禄2年(1458年) |
| 近藤瓶城の巻末識語 | 応永34年(1427年)までの書と説明 |
写本の終点と識語の説明は一致します。しかし、活字本文の実際の終点は、それより31年後の長禄2年です。
ここから確実に言えるのは、現存写本・活字本文・活字本編集者の説明の間に、本文範囲のずれがあるということです。そのずれが生じた理由までは、今回の資料だけでは確定できません。
現段階で証明されていないこと
- 手書き写本が、もともと全4冊で完結する作品だったこと。
- 現存第4冊の後に、失われた第5冊が存在したこと。
- 活字本巻五が、現存写本と同じ伝本から翻刻されたこと。
- 活字本巻五が、別系統の写本から取られたこと。
- 活字本巻五が、原著者とは異なる人物による後世の増補であること。
- 近藤瓶城が、巻五相当部分を『南方紀伝』本文ではないと考えていたこと。
- 近藤瓶城が、巻末識語で巻五相当部分の存在を見落としたこと。
- 第25~32画像の本文が、近藤瓶城の編集時に初めて加えられたこと。
- 写本4冊が、活字本巻一~四と一冊ずつ完全に対応すること。
これらは、資料が増えれば検証できる可能性がありますが、現時点では事実として表示しません。
検討すべき可能性
現時点で考慮する必要があるのは、次のような複数の可能性です。ただし、いずれも結論ではありません。
| 可能性 | 検討理由 | 現段階の問題 |
|---|---|---|
| 現存写本が応永34年で完結する別系統伝本 | 写本終点と巻末識語が一致する | 同系統の別写本・古目録を確認していない |
| 写本の後続冊が失われた | 活字本は第25画像以後も連続する | 第5冊の存在を示す題簽・目録・残欠等を確認していない |
| 活字本が異なる底本・複数伝本を使用した | 写本にない巻五相当部分を収録する | 『史籍集覧』の底本表示・校合記録を確定していない |
| 同一作品内で冊構成と巻構成が異なる | 冊と巻は別の単位である | 写本各冊と活字本各巻の厳密な境界対応が未整理 |
| 巻五相当部分が別の編集段階で接続された | 巻末識語の説明と活字本文終点が一致しない | 接続時期・編集者・根拠資料を示す証拠がない |
| 巻末識語の説明が、巻五を除く本文範囲を述べた | 応永34年は写本終点と一致する | 識語自体は除外理由を説明していない |
| 識語の記述または活字本の巻立てに編集上の不整合がある | 一冊の刊本内で説明と本文範囲がずれる | どの段階で不整合が生じたか不明 |
本サイトでは、これらを並列の検討項目として保持し、証拠が得られる前に一つへ絞りません。
なぜまだ確定できないのか
- 今回確認した手書き写本は一組4冊であり、他の写本・残欠・古写本目録を網羅していない。
- 明治期活字本が実際に使用した底本・校合本・編集記録を確定していない。
- 写本各冊の題簽・内題・尾題と、活字本各巻の境界を全面的に比較する第二次書誌調査が残る。
- 活字本巻五相当部分には、編年外挿入記事や人物年代の不整合があり、本文形成の層を検討する必要がある。
- 巻末識語は収録範囲を説明するが、巻五相当部分との関係を明示しない。
- 「南方紀伝下終」は刊本上の終端を示すが、作品成立時の原構成まで直接証明するものではない。
したがって、現段階でできるのは、資料ごとの状態を分離して記録し、相違を消さずに公開することです。
本サイトでの表示方針
- 手書き写本は「物理的に全4冊」と表示する。
- 写本本文の終点は「応永34年(1427年)」と表示する。
- 明治期活字本は「本文全5巻・長禄2年(1458年)まで」と表示する。
- 写本4冊と活字本5巻の関係は「未解決」と表示する。
- 巻五は「活字本巻五相当部分――伝本・巻立て上の位置づけ未確定」と表示する。
- 巻五相当部分を付録・補遺・増補と断定しない。
- 巻一~四は写本と活字本を照合し、巻五は主として活字本に基づくことを区別する。
- 第25画像冒頭の写本との重複位置を明示する。
- 近藤瓶城識語を明治期編集者の書誌説明として、本文から分離する。
- 「菊池伝記総目録」を別史料として扱う。
この表示方針は、問題を解決したように見せるためではなく、読者が資料ごとの違いを確認できるようにするためのものです。
今後必要な調査
- 活字本の底本調査:『史籍集覧』の凡例、底本表示、異本・校合記録、編集関係資料を確認する。
- 他伝本の探索:国書目録、所蔵目録、写本画像、残欠、旧蔵記録から他の『南方紀伝』を探す。
- 題記・尾題の比較:写本各冊の巻頭・巻末表示と、活字本各巻の巻頭・巻末を一覧化する。
- 境界部分の逐字校合:写本第4冊末尾と活字本第24~25画像を再校訂し、接続位置を精密化する。
- 巻五内部の編集層分析:編年外記事、人名年代不整合、語調、記事形式を調べる。
- 巻末識語の検証:近藤瓶城の他の識語・編集方針と比較し、収録範囲説明の意味を検討する。
- 古い目録・引用の調査:応永34年終点・長禄2年終点のどちらが古く確認できるかを調べる。
これらの調査が進むまでは、現行の表示名と未解決扱いを維持します。
読者向けの確認手順
- 手書き写本第4冊の最終画像とpart-12を確認する。
- 活字本第25画像冒頭で、赤松満祐上洛記事の重複を確認する。
- 同じ画像内で、重複記事の後も本文が続くことを確認する。
- 第26~32画像で、長禄2年まで記事が続くことを確認する。
- 第33画像右丁で、近藤瓶城識語の応永34年までという説明を確認する。
- 同画像の「南方紀伝下終」と、左丁から始まる「菊池伝記総目録」の境界を確認する。
- 巻五ページでは、写本翻刻ではなく活字本の第一次解読が中心であることを確認する。